天海祐希の宝塚時代の伝説まとめ!ファンに対しても厳しかった?




こんにちは、Rチャンネル情報局です。

 

元宝塚男役トップスターで
今では女優として大活躍している天海祐希さん。

 

男女問わず、老若男女問わず
たくさんの方から人気の彼女ですが
特に女性からの指示が高いですよね!!

 

宝塚時代も数々の伝説を残し
その伝説は今でも語り継がれているとか。

 

今回はそんな天海祐希さんの宝塚時代に注目し
どんな伝説があったのか、
そして現役宝塚時代の画像なども
見ていきましょう。

 

 

スポンサーリンク

天海祐希の宝塚時代の伝説まとめ!

では早速、
宝塚時代に残した数々の伝説を
まとめていきます。

 

 

宝塚音楽学校を首席入学

高校2年が終わり宝塚歌劇団へ入団するために受験。

 

とても倍率が高く
合格するのも大変な試験を見事一発合格

 

しかも首席で入学したそうです。

 

天海祐希さんは同期の中でも
かなり群を抜いていた存在で一目置かれていたようですね!

 

そしてその逸材ぶりを表すのがこちら。

 

よくぞ生んでくださいました!

 

天海祐希さんのお母さんは
宝塚の運営側からそういわれたようです!

 

こんなことってなかなかないようで
本当に素晴らしい逸材だったことがわかりますね!

 

天海祐希さんはデビュー前から
かなりポテンシャルの高い人だったようです。

 

 

入団1年目で新人公演主役

音楽学校を卒業後、
各組に配属されるのですが

天海祐希さんは雪組で初舞台。

 

宝塚歌劇団には“本公演”と”新人公演”があります。

 

新人公演は本公演と全く同じ演目を
入団1年目から7年目までの人たちだけで
公演を行うことを言います。

 

その新人公演において
天海祐希さんは入団1年目にして主役に抜擢

 

正確には入団10か月で
主役を演じたということになります。

 

大体の数にはなりますが
宝塚の団員で1年目から7年目までの人数は
約250~300人程度になるそうです。

 

その中から主役ポジションは1つ。

 

そこに1年目の天海祐希さんが大抜擢されたということです。

 

これはとても珍しいことで
今現在もこの記録をぬいたタカラジェンヌは
いないそうですよ!

 

本当に伝説のスターですね!!

 

 

お茶会でファンに説教?

宝塚歌劇団は
ファンと交流するお茶会なるものがあるようです。

 

そのお茶会に参加するひとが
とても多かった天海祐希さん。

 

イベント会場はファンでごった返して
司会進行もグダグダだったとか・・・

 

それに対しテキパキしたい彼女は
イベント中ずっとイライラしていたようです。

 

そんな天海祐希さんがついにしびれを切らし
自分でスムーズに進められるように
司会進行もはじめたそうです。

 

写真撮影があったときもファンに対し

 

テキパキと動きなさい!

さっさと終わればその分たくさんお話しできるんだから。

 

とファンにも一喝!

 

しかし
“時間が余ればその分お話しできる”というのは
ファンにとっても嬉しいことですよね!

 

天海祐希さんの優しさも感じられる
エピソードだと思います。

 

 

スポンサーリンク

早いトップ就任がゆえに早期退団

 

入団して10か月という最速で
新人公演の主役に抜擢された天海祐希さん。

 

それはもうトップになるのも
相当早かったようです。

 

初舞台を踏んで7年目、
正確には6年半で月組トップスターに就任しました!

 

入団7年目というのは
まだ新人公演に出演する年代。

 

異例の大出世となったようです!!

 

しかしこれが“早期退団”の原因ではないかとも言われています。

 

天海祐希さんはトップスターになって2年後
1995年12月公演の『ミー・アンド・マイガール』で
宝塚歌劇団を退団しています。

 

通常トップになってから平均5年は
トップとして公演していくそうです。

 

それに比べて2年は短いですね。

 

この早すぎる退団に多くのファンは悲しみ
マスコミ各社は特集を組むほど。

 

それほど人気だったということがわかります。

 

この早期退団には2つ理由があったといわれています。

 

  • 先輩方を差し置いて入団6年目にしてトップになったことが反感を買った
  • 早く退団することで先輩にチャンスを与えた

 

実力があったにしても
みんながみんなよく思っていたとは限りません。

 

下級生に先にトップにつかれるのは
正直悔しい思いもあるでしょうから。

 

上下関係が厳しいといわれる宝塚ですので
居づらくなってしまった可能性もありますね。

 

天海祐希さん自身
女優が目標だったということもあって
潔く退団を決意したのかもしれません。

 

女優になっても高い人気は確立していますし
そのまま宝塚に居続けるよりは
良い決断だったのかもしれませんね。

 

 

サヨナラ公演は羽を背負わなかった

宝塚歌劇団の名物といえばフィナーレで
トップスターが大きな羽を背負って降りてくる
大階段ではないでしょうか。

 

天海祐希さんもその大きな羽を背負って
大階段を降りてきたはずなんですが・・・

 

なんと大きな羽は背負わず
小さな羽で降りてきていたようです。

 

またサヨナラ公演では羽さえも背負わず
降りてきたというエピソードがあります。

 

劇団側に直談判し
「仰々しい羽根を背負うのはイヤだ」と伝え
宝塚トップスターの象徴ともいえる羽を
背負わなかったそうですよ!

 

余談ですが
トップスターの羽の重さは15kgもあるとか・・・

 

一部では
羽の重さは責任の重さ
といわれています。

 

 

ファンとの間の独自ルール

異例のスピードで
トップに立った天海祐希さんですが
その実績にのぼせ上がることなく
“何が大切か”を常に考え行動していたようです。

 

その中のファンとのエピソードですが
天海祐希さんとファンとの間には
独自のルール”があったそうです。

 

例えば出待ち。
夜10時以降の出待ちは禁止

 

理由は2つあるようで

  • 稽古の時間が押していて長引いた時に、外でファンがまっていると思うと稽古に集中できない
  • 夜遅くに女性がうろうろしていると危ない

 

といったことから
ルールを決めたようです。

 

また出待ちや入り待ちのときの
手紙など受け渡しもNGなんだそうです。

 

これは他の組子さんや自分自身が
スムーズに入館できないためなんだとか。

 

全てスタッフに渡すようにしていたそうです。

 

他にもたくさん人がいる中で
1人立ち止まってしまうと多少なりとも迷惑は掛かりますよね。

 

そこを理解した上でのルールだったのだと思います。

 

しかしその制限を作る一方で
握手会やお茶会、写真撮影会などを
設けているのでフォローもばっちりですね!

 

そんな彼女は退団時には
ファン全員にワイングラスを送っているとか。

 

天海祐希さんの人柄の良さが
にじみ出ているエピソードでした。

 

 

スポンサーリンク

天海祐希の現役宝塚時代の画像

では最後に宝塚時代の写真を
見ていきましょう。

 

 

宝塚の男役の化粧は
舞台映えするように目元を強調し
くっきり書くのが主流ですね!

 

きりっとした目元と
筋の通った鼻はとても印象的です。

 

 

女優としての天海祐希さんもとても綺麗ですが
宝塚の時にはまた違った色気があります。

 

 

本当にかっこよくて憧れの女性です!!

 

 

天海祐希のプロフィール

 

【名前】天海祐希(あまみゆうき)

【本名】中野祐里(なかのゆり)

【生年月日】1967年8月8日 52歳(2020年2月時点)

【出身地】東京都

【身長】171cm

【宝塚トップ歴】2年(1993年~1995年)

【現所属】研音

 

 

スポンサーリンク

おわりに

天海祐希の宝塚時代の伝説まとめ!ファンに対しても厳しかった?

について見ていきました。

 

いかがでしたでしょうか。

 

素晴らしい伝説の数々ですね!

 

トップ歴が2年と短いのは
ファンからすると少々寂しい気もしますが
今では女優として大活躍されています。

 

今後の天海祐希さんの活躍を
応援していこうと思います!

 

 

≪その他宝塚記事≫

天海祐希が結婚しない理由!なぜ?生涯独身?結婚観がカッコいい 

音花ゆりが結婚した旦那判明!会社経営者で海外サイトが掲載 

真矢ミキの旦那との馴れ初め!“最高の結婚”をしたって何? 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください